海岸フィールドワークで感じる寿都湾の凄さ


ブナ北限の地、北海道…
海底火山でできた寿都町の弁慶岬
弁慶岬の灯台付近から崖の下をのぞくと海へ広がる平磯の上でのんびりと釣りを楽しむ人が見える。ここ弁慶岬は釣りのメッカでもある。特に下の岩場へ降りる道はついていないが、弁慶の銅像の後ろあたりに釣り人が歩いてついたと思われる道らしきものがあり、足元に注意しながら降りてみる。

弁慶岬では海底火山(1000万年~600万年前)の噴出物を観察することができる。灯台が立っている所は溶岩が海水で急激に冷やされ細かく破砕された大小の岩(水冷破砕岩)と火山灰が一緒になって堆積した地層からなり、もろく、亀裂の入りやすいという性質を持っている。
この岬の左側には「政泊漁港」があり、漁港に通じる道もある。漁港の左側のコンクリートの壁を越え、大きな岩の下を見ると、周縁から垂直に規則的な割れ目が発達する安山岩の大きな岩塊を見つけることができる。これは海底に流れ出た溶岩が水冷してバラバラに破壊されずに残ったもので、シュードピロー(にせの枕)と呼ばれ、激しい火山活動があったことを物語っている。
枕状溶岩が観察できる山中海岸
弁慶岬から南東約3㎞のところに山中海岸(滝ノ間)があり、ここでも海底火山の跡を観察することができる。引き潮時には顔を出す広い平磯があり、夏場にはキャンプや釣りを楽しむ人が訪れる人気スポットで、無人の有料駐車場もある。
ここから市街地を背に弁慶岬の方を見ると左右に2つの岩があることがわかる。特に右の岩は軍艦岩と呼ばれている岩で下の方に2つの穴がある。ここで観察したいのは特に特徴のないように思われる左の岩である。近づいてよく見ると、直径50cm~1m大の円~楕円形の岩塊が寄せ集まっていることに気づく。これは枕状溶岩(ピロー)と呼ばれ、溶岩が海底に流れ出た時に表面が急冷され枕状の筒のようになって固まり、それが重なっている様子を確認することができる。大変わかりづらいと思うが、枕状溶岩は黒っぽい玄武岩でできているのでじっと見ていると何となく丸いものがいくつか見えてくると思う。
海底火山の岩脈
寿都市街地から約2㎞、南下した樽岸付近の海岸には丸太を積み重ねたような岩がある。それは火山噴火の際にできた放射状の割れ目に上昇してきた溶岩が固まった岩脈である。この周辺には約100本近くあり、寿都付近は、当時海底にできた大きな火山の中心であることがわかっている。

朱太川河口から続く砂浜
樽岸町から歌棄町(うたすつ)かけは砂浜海岸(約4㎞)になっていて、春から秋にかけてハマヒルガオ、ハマエンドウ、ハマナス、ハマボウフウなど、ハマのつく色々な草花を観察することができる。朱太川の河口もこの辺りにあり、汽水域で海とつながっている。またこの砂丘地帯には風力発電が建設されていて、春は噴火湾から黒松内低地帯を通って吹き抜けるだし風、冬は海からのたま風がプロペラを力強く回している。
磯に棲む生き物たち
寿都町市街地の対岸にあたる歌棄町、磯谷町の海岸も海底火山の噴出物からなる岩礁となっている。ここではイソガニ、ヒトデ、イソギンチャク、タマキビなどの磯に棲む生き物や海藻などを観察することができる。海中の生き物を観察するには水中メガネがあると便利である。また潮の満ち干がわかるデータがネットで入手できるので活用したい。
寿都湾の海の恵み
寿都湾の漁獲量は年々減少の傾向にあるようだが、小女子(こうなご)、イカ、ホッケ、ホッキ貝、ウニ、アワビなど多くの種類の魚介類が獲れている。近年は春から夏にかけて水揚げされる牡蠣(養殖)の人気が高まってきている。特に歌棄町(種前)にある「かき小屋」(冬場は休み)では牡蠣の蒸し焼きをはじめ、寿都湾の新鮮な魚介類を味わうことができる。歌棄町美谷にある「しらす会館」では季節によってメニューは変わるが「生しらす丼」や「さば醤油ラーメン」などを食べることができる。また昔から親しまれている郷土料理に「しらすの佃煮」や「ホッケの飯寿司」があり、寿都町にある各水産加工場でつくられ、特産物になっている。
寿都湾の自然をもっと大事に
寿都湾はまだまだ多様な生き物が棲む豊かな海である。それは寿都湾を取り囲む野山の環境がしっかり守れていることを意味しているのだろう。
寿都はアイヌ語の「シュブキ ペツ(茅の多い川)」から「スオッツヘツ」と訛り、これが今の地名になったという。先人が茅(かや)の繁茂している朱太川の自然をいかに大事にしていたかを想像することができる。他にも大小様々な川が寿都湾に注いでいるが、その清流が養分を運び、海を豊かな森にしている。私たちにできることはまず身近にある川を汚さないことである。寿都湾の自然をもっと大事にして、次代に引き継いでいきたいものだ。

