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黒松内発、噴火湾『ブロートンドライブ』

黒松内発、噴火湾『ブロートンドライブ』

絵鞆半島にある宮越屋珈琲店からの絵鞆漁港、白鳥大橋、室蘭湾を望む

1月末、少し吹雪ぎみの天気だったが、白鳥大橋(室蘭湾)の南端にある「道の駅みたら」と「海の駅エンルムマリーナ」を目指す。白鳥大橋は通行止め(落雪の危険)だったので、湾岸沿いの道を進み、絵鞆(えとも)半島の突端へ向かう。

噴火湾の名付け親、ブロートン

噴火湾(内浦湾)は室蘭市の地球岬(絵鞆半島)から駒ヶ岳北東麓の松屋崎に囲まれたほぼ円形(直径約50㎞、湾口は約30㎞)の海域である。この噴火湾の名付け親は、1796年(寛政8)に北太平洋海域調査のためにやってきた英国帆船プロビデンス号の艦長ウィリアム・ロバート・ブロートンとのこと。水や薪等の補給のために室蘭に寄港した際に、有珠山や駒ケ岳等の山々から噴煙が上がる光景を見て、Volcano Bay(噴火湾)と記したという。室蘭の道の駅みたら(前庭)にはプロビデンス号室蘭港来航200年記念碑が建っている。

大噴火を繰り返していた山々

ブロートンが来道した約150年前から内浦湾周辺の山々は数千年の眠りから覚め、大噴火を繰り返していた。1640(寛永17)年には駒ケ岳が大噴火し、山頂が崩れて湾になだれ込み、大津波が発生し、百隻あまりの舟が巻き込まれ、約700人もの死者がでたという。1663年(寛文3)年には有珠山が大噴火を起こし、アイヌの人たちの集落(コタン)にも甚大な被害をもたらした。また噴火湾の北にある樽前山は1667(寛文7)年に大噴火を起こし、噴煙は成層圏(高さ10~50㎞)にまで達し、吹き上げられた火山灰は日高山脈を越えて十勝や釧路にまで降っている。

海の駅で駅弁「母恋めし」をテイクアウト

道の駅「みたら」から少し行った所に、「海の駅エンルムマリーナ」がある。館内には関根勝治、久子さんご夫婦と息子さんの3人で経営している母恋めし本舗があり、駅弁「母恋めし」等を製造、販売している。また「ブロートン」という名前の喫茶店も経営している。

まずは家食用にと駅弁「母恋めし」を購入。昼食は喫茶「ブロートン」でとるつもりでいたが、コロナ感染予防のため休業中だった。店内のショーケースには貝殻やクレイシルバー等でつくった飾りやアクセサリーが展示・販売されていたが、どれもご家族3人がそれぞれ創作されたとのこと。ご主人の案内で2階にある港の貝の博物館を見学させていただいた。白鳥大橋工事の際に掘り出されたという貝化石も見ることができた。天気のいい日はここから有珠山や駒ケ岳、羊蹄山等を一望できるらしい。ブロートンが見た噴火湾の絶景をぜひ一度見たいものだ。

駅弁「母恋めし」はとにかく凄い!

駅弁「母恋めし」には希少なヤヤン昆布の出汁で炊いたホッキ飯で作ったおにぎりが2個入っていて、1個は本物のホッキの貝殻に納まっている。駅弁のホッキ貝は近くの海(虎杖浜等)で獲れるのもの使っているとのこと。噛むほどにホッキ独特の甘みが広がり、何ともいえない満足感に包まれる。付け合わせにはリンゴのチップでいぶした燻製チーズや味付き卵、おつまみわかめ、食後のハッカ飴、そして手指消毒用のアルコールまでついていて、旅を安全に楽しんでもらいたいという心遣いが満載のとにかく凄い駅弁である。弁当の値段は1個、1,188円(良い母)で、海の駅内にあるブロートン(母恋めし本舗)と道の駅みたらJR母恋駅で購入することができる。母恋の語源はアイヌ語の「ボク・オイ」でホッキ貝の沢山ある場所という意味があるそうだ。

ホッキ貝は暖流と寒流がぶつかる海から

噴火湾付近は対馬海流が分岐して津軽海峡を通り太平洋に流れ出た津軽暖流と千島列島の東から北海道東部沿岸に沿って南西方向に流れる親潮(寒流)がぶつかり合い、プランクトンが豊かな海域になっている。特に噴火湾は夏から秋にかけては津軽暖流の勢力が強く、冬から春にかけては親潮(寒流)の強くなるという複雑な海流で、ホッキ貝や毛ガニ、ホタテ、カレイ等、多様な魚介類の宝庫となっている。

ブロートンの日本初上陸地は虻田

実は1797(寛政8)年に9月に室蘭に寄港する前の8月に洞爺湖町虻田に初上陸したことがわかっている。Loca Wikiのサイトに掲載されていた「ユーカラにのこるプロビデンス号」の記事にアイヌや和人の側からみた来訪時の様子や顛末が書かれてた文があったので紹介したい。「礼文華からチパドイエ川に水汲みにきたところをベンベ(豊浦町)の酋長にみつかり“無断で木を切ったものには水はやれぬ”と断られ、虻田沖まで来てイカリをおろした。

会所の役人が、虻田の酋長のところへ来て戦争になる前に早く船を沈めろというので、毒矢と大槍をもって浜に集まり、二列、三列になって進み、赤人船に毒矢を向けた。船では陸に向かって手をすり合わせ大声で泣いているのが見えた。

沖の船から小さい舟が二、三隻波打ちぎわまできて酋長の前で泣きながら何日も飲まず食わずに追われいる。米でも、菓子でも、酒でも、布でもたくさんやるから、どうか助けてくれといった。酋長は船長に会わねばわからないと五、六人の仲間をつれて本船へ行った。そこで日本人通詞の通訳で、水と酒、菓子、布とを交換する約束をして水汲みを許し、手伝いもした。水を汲んで安心した外国船はオタモイの岬をかわして下の方へ向かって姿を消した。

安心した酋長は、浜に積まれた米だの菓子だの、色々な物を家の前に運ばせて分け合い、その夜は楽しい酒盛りで歌ったり踊ったりした」(*「室蘭のうつりかわり」(室蘭市史編集室1977年)という本の中の1節)

ブロートンが日本初上陸地の虻田港
ブロートンが日本初上陸地の虻田港

「ブロートンドライブ」を終えて

室蘭市は黒松内から1時間半で行けるので、買い物等でよく行くところではあるが、「ブロートン」という探検家のことを知ったのはつい最近である。地理的な距離は近いのだろうが管内が違うことで心の距離が大きかったのだろう。また有珠や駒ケ岳等の山が大噴火を起こしたのは江戸時代で大昔のように感じるが200年も経っていない。コロナ禍で遠くへの旅はなかなか難しいが、これからも身近な地域の自然、人、文化を探るドライブで時間と空間を越えた学びを楽しみたいものだ。

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